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2005年8月1日刊行
 
   
闘う小児科医
ワハハ先生の青春

山田 真著
四六判/上製/264頁/本体価格1,800円/
ISBN4-88049-124-1




トホホでおちゃめ、まっすぐで熱い生き方
ぼくは、第二次世界大戦のまっ最中に生まれたのです。そして、六ヶ月後には日本も戦争に突入したのでした。
 軍医である父と軍国の母・である母とのあいだに生まれたひとり息子であるぼくは、ほっておけば右翼的な大人になる運命だったのでしょうが、時代の波はぼくを少しちがう人間にしてくれました。
 小学校に入学したのは一九四七年ですが、その年は戦後民主教育が正式にスタートしたといってよい年で、先生たちは平和、人権、平等といったことの大切さを生徒たちに一生懸命伝えようとしていました。戦後日本の平和は、日本が戦争中、アジアの人たちにたいへんな被害を与えたことの反省がないままに作られた虚妄であったといえるかもしれませんが、多くの国民が平和を維持しようとがんばっていたのは確かだと思います。そんななかで、先生たちもがんばり、先生たちの労働組合である日本教職員組合は活発に闘っていましたから、ぼくも無意識のうちに影響を受けていたのでしょう。
 高校に入ると、数学の時間なのにフランス革命について熱っぽく語り、その結果、生徒たちがみな「ラ・マルセイェーズ」をフランス語で歌えるようになってしまうという、そんな授業をする先生もいました。そしてぼくは、受験勉強に集中しなければならない三年生になっても生徒会活動にうちこんでいたりして、ちょっとした政治少年気どりでした。でも、心情的には右翼少年だったと思います。
 それがいまは世間から少し変わった医者だといわれるようになりました。反体制的な医者・といった古めかしい言葉でぼくを呼んでくれる人もいます。確かに、大学の同窓会に行ってみたりすると、自分がまわりの同級生たちと相当ちがっていることが実感されます。
 同級生はみな、あの一九六〇年代に、ぼくと同じ風に吹かれていたのに、どうしてちがってしまったのかとは思いますが、ともあれぼくにとってあの風がなかったらいまのような生き方をしていなかったのは確かなことのように思われます。
 東大闘争から四〇年もの歳月が経とうとしていますが、当時、闘いの端っこでうごめいていたぼくがその後をどう生きたのか、思い出をたどってみることにします。
(「はじめに」より一部抜粋)

●もくじ−−−−−−−−−−−−−−−−−

はじめに

I 一九六〇年春・進路 
 上京 12 
 東大入学 17
 ぼくらのアイドル「こまどり姉妹」 22
 デモより麻雀 27
 『資本論』より「ガラスの動物園」 32
 演説と同情と演劇と 42

II 一九六七年初春・激動
 卒業試験ボイコット 50
 「医局講座制」を告発 55
 ストライキ突入 61
 ああ、「反革命分子」 67
 くやし涙 73
 とうとう委員長に 79
 無期停学 85

III 一九六七年秋・闘争
 町医者への道 94
 ホームレスの患者さんたち 100
 病気とつきあっていく術を学ぶ 106
 大量処分 113
 東大闘争のきっかけ 122
 燃えあがった六日間 129
 終息に向かうなかで 136

IV 一九七〇年春・出会い
 公害被害者との出会い 144
 森永ミルク中毒の教訓 152
 企業と癒着する医者 158
 一万一七七八名への責任 165
 お母さんたちの後悔と自責 171
 ぼくにとっての「歴史的な一日」 179
 鍼をたずさえ三里塚 186
 大規模な公害「水俣病」 194
 医学の悪用がおこなわれるとき 204

V 一九七三年秋・誕生
 残念ですが閉院します 212
 ボーナスはジョニ黒 129
 小倉で会いたい人がいる 225
 五ヶ月の遠距離恋愛 231
 「正しい医者」への違和感 238
 娘の誕生。――障害者運動、ふたたび 245
 こどもたちを分けるな 252
 
おわりに 259


 
   
 

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